8月6日,長野県知事選挙において田中康夫前知事は、村井仁に敗れました。票の読みの難しい県民と、ちょっとしたことによる油断で、誤算をした支援者は、『世の為、人の為』に没頭して行動していた田中氏を放り出してしまいました。村井氏は早速、田中氏のこだわった「脱ダム」から「ダム有」も含めて検討しなおす姿勢を示しており、相当の逆戻りが予想されています。そこで懸念されるのが、「脱設計入札」です。県は2003年以後、全てプロポーザルまたは簡易プロポーザルによって、設計者を選び建設が進んでいます。県民からの評価も良いようです。逆展りしないために地域の設計団体が協力し、県へ働きかけてさらに市町村レベルまで普及に努めなければいけない。しかし、もし設計入札が以前のように続いていけば、土木工事同様に「電子入札」がなされ、談合ができないため、仕事ほしさに低入札(ダンピング)は必至で、ますます投計の質低下を招いていたと思われます。
越後の堀割物語をめざして、市民による再生活動
新潟は横浜、長崎と並ぶ幕末の開港5港の一つです。大河信濃川の河口に位置し、河川港であるために、流域変更で、街が4度も移転した特殊な歴史を持っています。両岸のまちには物資運搬のための掘割が縦横に張り巡らされ、北前船の寄港により町は商都として、発展を遂げました。掘割の風景は「一生に一度は訪れたい街」と当時は言われていました。明治期には新潟を訪れた英の旅行かイザベラ・バードは紀行文の中で新潟の掘割と木造建築が並ぶ風景を絶賛しています。ところが大正・昭和期の国家的プロジェクト大川津分水の完成により推量の低下や新潟市中心部の地盤沈下、そして自動車交通の発展により、しだいに掘割を再生しようという市民グループが生まれ、活発に調査やシンポジウムや提案活動を行うなど、市民のなかにも掘割再生の気運が生まれています。ソウルの清渓川再生も大きな刺激になっています。一度埋めてしまったものを掘り起こすころはきわめて困難ですが、課題は掘割再生によって中心部では自動車交通に頼らない新しい都市像をどのように描けるか、都市に水辺環境を持ち込めるかでしょう。提案の結果によっては新たな掘割が防災などの新たな機能を市民と共有できるかにかかっています。