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誰のための都市再生か、という根本の議論

以前、安部晋三元首相の所信表明演説を聞いた際に、「都市」という言葉が一回しか出てこないという話を聞いたもので、内容を確認してみました。たしかに「美しい国」というお馴染みの言葉は多用されるものの、「都市」という単語が登場するのは1回だけで、それも「都市と地方の間における不均衡」というネガティブな言い回しで使われているだけでした。安部元首相は道州制担当相のポストを経験しているから、地方分権の議論は小泉政権の時よりも前進するだろうと考えられました。気になるのは「地方」の対立項のように扱われている「都市」の今後である。それに比べると、小泉政権の5年間は都市が施政の前面にあった2001年3月、最初の所信演説で、都市の再生と土地の流動化を通じて都市の魅力と国際競争力を高めることが謳われてから、都市再生本部の設置(2001)、都市再生特別措置法の施行(2002)など、都市再生の施策が間断なく続きました。なかでも特別措置法は形態規制の緩和と民間資本の導入などをセットにした景気浮上策もあって、駅周辺や沿岸部など、大都市の戦略的拠点を驚くべきスピードで整備させる原動力となりました。この性急さは不可避だったとはいえ、それを実行できる事業主体と都市を厳しく選別結果をもたらしたのも事実です。

それ以外では、三位一体の改革による地方分権の推進がめざましかったことがあげられます。これに平成の大合併が重なって、地方自治体の再編が大きく進行したのは歴史的事件でもあります。その効果の一例を挙げると、たとえば新潟市では、合併によって今までは別の自治体が認可していたショッピングセンター建設や宅地開発がコントロールできるようになり、一貫性のある都市圏計画とスプロールの抑制がはじめて可能になったと言えます。この動きに、自治体が主体となって景観計画を定めることができる景観法(2005)、そして中心市街の再生を狙いとする改正まちづくり三法(2006)を関連させれば、地方都市の再生が、制度的には今まで以上の自己裁量権をもって構想できるようになったのは評価されるべきことはないでしょうか。しかし見方を変えれば、都市が今まで以上の論争にさらされるわけだから、その未来についての構想がより深く問われる時代になったとも言えます。そしてこの一点において、私は未来を楽観視していません。その理由のひとつは、都市の未来を担うべき建築家の都市離れがいまだに顕著であるということです。小泉政権の5年間は超低金利政策による住宅ブームの時代でもあったので、設計の現場にいた私にとっては「都市の時代」というよりも「住宅の時代」と言った方が実感に近いです。先ほど述べた「事業主体の選別」とともに、住宅設計をするのか都市開発をするのかについて、設計業界の二極化が大きく進行したのではないでしょうか。都市再生の質の向上には設計の質の底上げが必要なのは自明の理なのですが、日本橋上の首都高埋設についても、東京オリンピックの誘致についても、コンペがひとつも行われず、大手設計組織によって粛々と事業が進行しているのは異常事態でもあります。この点については、個人事務所にもチャンスが与えられる欧米と日本の都市再生の事情は大きく異なっています。

もうひとつ、誰のための都市再生か、という根本の議論も不足しています。たとえばEUで盛んに語られているような、公共空間の再編によって市民参加や社会的統合をはかっていこうという識論のように、都市再生の社会的な側面についての言及はまだまだ少ないとしかいいようがありません。それは表参道ヒルズの竣工に際して、森ビルの社長が「今までは人々が街を選んでいた。これからは街が人々を選ぶ」と述べたように、ジェントリフイケーシヨンと消費喚起力をもっぱらの解とする傾向にも伺えます。今後も続くであろう都市再生の方向性を、私たちはますます厳しく問わなければならないでしょう。